初めまして。私は、VOCALOID。私は、アナタの想いを歌に乗せて伝えるモノ。 マスター、私に歌わせて。アナタの歌を――。 マスターとの日々。楽しいことも辛いことも分かち合えた。マスターは歌を書き、そして私はその歌を歌った。 人々がマスターの歌で繋がっていく。ああ、なんて輝かしい日々。 私が微笑むと、マスターも微笑み返してくれた。それが幸せだった。 それなのに……。 「――マスターッ!」 彼女は思わず飛び起きていた。彼女の視界には薄暗い部屋の中、中空に向けて伸ばした自身の手の甲が見えた。 「昔の夢か――」 寝床から周囲をまさぐり触れた酒瓶を支えにして身体を起こす。眠気眼に一杯。グラスに注いで一気に煽った。 「……」 壁に貼り付けられたポスター。 咲音メイコLIVE! ちょっと洒落たデザインのそれを一瞥し、また次の一杯を注ぐ。マスターとの出会い。 そして、輝かしきデビュー。煌びやかなアイドル生活。全てが夢のようだった。 けれども、それはそんなに長くは続かなかった。 咲音 メイコ。忘却されたボーカロイド。それが私。 マスターに見放されて、もうどれくらい経つだろう? そんなことも分からなくなる程長い時間、私はこの部屋で酒に溺れていたんだ。 マスターに見放され……歌うことさえ出来ない。そんなボーカロイドに生きる価値はあるんだろうか? 「……私だって……」 寝起きで血圧が下がってるせいか、身体もだるくて、だから、愚痴っぽくなってる。 でも、もうそんなこともどうでもいい。 ……どうやら、私はもう本当に壊れてしまっているようだから。 空間が裂ける。裂けた境界の中から無数の目が見つめている。 そんな光景を見せ付けられて、一体、誰がそんな自分を正常であると認識できるだろうか……? ――アナタを誘いましょう。忘却された歌い手よ―― VOCALOIDが幻想入り 第一話 『Nostalogic! もう歌しか聞こえない!!』 「〜♪」 人の寄り付かぬ森の中、賑やかな歌声が響き渡る。 ここ、幻想卿には歌や泣き声を使って人を惑わす妖怪というのは割りと数が多い。 この歌声の主、夜雀の妖怪である、ミスティア=ローレライもまた、そんな妖怪のうちの一人である。 「八目、八目、八目鰻〜♪ おいしい、おいしい、う・な・ぎ〜♪ タレつけて、炭火で焼いて、匂いで人間惹きつけろ〜♪」 ミスティアはこの上なく上機嫌で今まさに、焼いている最中の八目鰻の歌を歌っていた。 というのも、今日は面倒な敵も出ず、上物の八目鰻が大漁だったからだ。 ミスティアはこの八目鰻を人間や妖怪に売る屋台で生計を立てている。 最も、このミスティア自身は人喰い妖怪であるが、 幻想卿の妖怪たちの間で決められた暗黙の取り決めによってよほど素行の悪い人間で無い限りは襲うこともなく、 そこそこ友好な関係を気付けているようである。 もっとも、その“よほど素行の悪い人間”はその限りではないのだが。 「人間、人間、食べたいな〜♪ でもでも、我慢♪ 今は大事なお客様〜♪」 用が済んだらパクリ。 そんな誤解を生み得ない物騒な歌詞を口ずさみながらミスティアは手際よく八目鰻を焼いていく。 すると不意に、影の草むらで物音がした。ミスティアは思わず肩をビクつかせる。 「誰?!」 今の今まで物騒な歌詞を口ずさんでいた妖怪とは思えないほどのビビり様である。 というのも、ここ最近、『魔法の森では不審な亡霊がふわふわと現れては、 妖怪たちを食い散らかし、骨一本残さず去っていく』という噂がまことしやかに囁かれているからだ。 そんなたまによく出る亡霊に結構な確率で捕食されているミスティアが、些細な物音にさえ気を立てるのは無理も無いことであった。 「ま、まさか、白玉楼の……い、いやいや! そんなはずは!」 というのも、先週は三度も現れて美味しく食べられてしまったので、流石に今週も現れてもらっては商売も出来ないし、困る。 彼女の悪食は今に始まったことではないけれど、あんまり酷いようなら半霊のお目付け役にしっかり止めてもらわなきゃ。 ということで、週の初めに苦情を言いに行ってからはここ数日は穏やかだったというのに。 「も、もう反省し終わったの? 早すぎ、早すぎですから!」 もちろん、あの半霊では彼女の行動を抑えきれない事は分かっている。 けど、白玉楼の食の全権を握っている半霊からお叱りを受けたんだから、少しは自重しているはずである。 彼女……西行寺 幽々子は彼女の部下、魂魄 妖夢の料理に首っ丈なのだ。 その部下がへそ曲げて 『幽々子様ったら、あんな夜雀を拾い食いして! そんなに私の料理は不満ですか? そんなに夜雀を拾いした方がいいなら、妖夢はご飯を作りませんよ、それでもいいんですね?』 なんて言うもんだから、当の幽々子は 『えーん、妖夢の意地悪――。もぉ、分かったわよぉ。拾い食いはもうしません。 ミスティアをおつまみにお酒飲むのもやめますから、それだけは〜』 って、涙目で返していた。 正直、いい様だ、なんて思っていたけれど、よくよく考えてみればあの異次元胃袋亡霊が、 そんな口約束をいつまでも守るとはとてもとても思えないのである。 「さ、西行寺 幽々子さ〜ん? じゃ、ないです、よねぇ〜?」 物音を立てた相手がそうでないことを祈りながらミスティアは物音がした草むらへと一歩、また一歩と近づいていく。 そして、草むらに手が届きそうな距離まで近づいた、次の瞬間。 「おつまみぃいいいいいいいいい!!!!」 「ヒィ!!」 突然、飛び出してきた人影にミスティアは驚いて思いっきり後ろに転んでお尻を打ってしまった。 しかし、そんな痛みに気を取られている暇は無い。 今、確かに『おつまみ』って言われたのだ。そう、つまりは、この人物は……。 「いやああああ! 食べないでー!!」 哀れミスティア。 人食い妖怪の面影も何も無く掴まれた右腕を無造作にぶんぶん振り回し、 涙目でそんな食べられる側の叫びを上げざるを得ないとは。 何度も幽々子に捕食された経験が、彼女を食べる側からすっかり食べられる側へと、その意識を身体に刷り込ませていた。 「食べられる、食べられるのはもう、いやー!」 聞きようによっては誤解を生みかねない悲鳴を上げながらミスティアは暴れる。 それが功を奏したのか、手を掴んでいた何者かがその拘束を緩めた。 「へ?」 抜けた力にミスティアは驚きを隠せない。しばし、唖然として事態を整理する。 「え、えーっと……今のは?」 恐る恐る振り返る。かくして、振り返った先、ミスティアが今の今まで蒲焼を作っていた屋台のグリルの前にその人物は立っていた。 茶髪のショートの女性。幻想卿ではありえないほどタイトなスカート。 おへそ丸出しで胸の開いた赤いジャケット。ミスティアは一瞬で、彼女が外の人間であることを悟った。 『外の人間=幻想卿には関係の無い人間=食べてもいい人間』 そんな等号式が一瞬のうちに脳内を駆け巡り、 『西行寺 幽々子≠目の前の赤い女』 も相まって、ミスティアは本来の捕食者としての立場へと返り咲く。 「んまい、これおいしー。日本酒に合うわー」 挙句に、その外の女は、ミスティアの大事な八目鰻の蒲焼を無断で頬張っているのだ。 この無礼千万、すこぶる素行の悪い人間は、見せしめのためにも食べてやるのが妖怪仁義。 なんて、考えたかどうは定かではないが妖怪の本来の有様に従い、ミスティアはこの無作法な余所者を襲うことにした。 ミスティアは地面を蹴って、赤い女に飛び掛る。 弾幕なんていらない。外の人間は大抵、何も出来ないのだから。 ミスティアの繰り出した爪が赤い女に振り下ろされる。 その爪は、人骨さえ容易く引き裂いてしまう剛爪。 そして、妖怪の力で繰り出されるそれに、人体のいかなる部位でさえ引き裂けぬものは、ほとんどない……はずであった。 「ふぎゅるッ!?」 もっとも、それは相手との力差があった場合に過ぎない。 いかに鋭利な刃物を持とうとも、当たらなければどうと言う事は無いのである。 いきなり中空で顔面を鷲掴みされて、ミスティアは事態を飲み込めなかった。 赤い女は、全身で飛びかかってきたミスティアを片手で止めていた。 「あら、これまたおいしそうな鶏肉ねぇ。ちょうど良かった。 タレ鰻ばかりで油濃かったからアナタみたいなさっぱり系のお肉が欲しかったのよ〜」 ういっく、なんてしゃっくりをしながら、赤い女はミスティアを軽々と持ち上げ、そして。 「ぎょえええええええええええええええええええええ!!!!?」 壮絶な悲鳴が魔法の森全体に響き渡るのだった。 * 「……なるほど、だいたい事情は分かったわ」 壮絶な焼き土下座で半身が焼けた頃にミスティアは、どうにかこうにか赤い女を落ち着かせることに成功し、事情を説明していた。 「ここが、幻想卿っていうところで、私は、その八雲 紫って妖怪に連れてこられたわけね」 「う、うん。外との境界をいじるなんてアイツしか出来ないだろうし。多分」 そもそも、幻想入りと言うのは外の世界で忘れ去られてしまったものが幻想卿に流れ着いてくるという現象である。 その現象の原因となっているのが、何を隠そう彼のすき間妖怪、八雲 紫である。 境界を操る程度の能力を使い、ありとあらゆるモノの境界を操作する。 物の存在は境界が存在する事で成り立っている。 事物に関わりなく、モノの存在そのものの意味を操作することのできる幻想卿最古の妖怪、それが彼女。 正直な話、あの困った妖怪がどういう基準で人や物を幻想入りさせているかは分からないし、 この女性が何故紫に連れてこられたかなど、ミスティアにとって別にどうでもいいことである。 ミスティアの関心は、むしろ、目の前の赤い女そのものにいっていた。 「アナタ、強いんだねぇ。外の人間は大抵、弱っちいのに」 大抵は、無抵抗。 抵抗してきたものでも、稀に魔法や特殊な力を使う強者が混ざってはいるものの、 十中八九は妖怪たちが本気を出さずとも楽に食らいつくせる程度の力しかない。 しかし、この女は稀な部類に入るのである。 「あっははは、まあ、鍛え方が違うからかしらねぇ?」 なんて、ケラケラと笑う赤い女に、ミスティアは背筋を凍らせる。 いきなり別世界にやってくるという異常事態にも一切動じず、 八目鰻を肴に酒を飲んで屈託の無い笑顔を崩さないこの女は、只者ではないと改めて直感する。 強い者は大抵笑顔なのだ。 「そ、それで、えーっと、咲音……メイコさん?」 「メイコでいーわよ」 言って、赤い女。咲音メイコは手にした清酒の一升瓶を口に含んだ。 「これからどうするの?」 「そうねぇ。元の家に戻っても仕事も何にもないからねー。しばらくは、こっちに厄介になろうかしら」 「そ、それじゃ、人間の里に送ってってあげるよ」 ミスティアは言って立ち上がった。別に親切心から出た言葉ではない。 何とか落ち着かせてみたものの、いつメイコが心変わりするとも分からない。 それは、この咲音メイコから感じ取れる、 彼の西行寺幽々子にも匹敵する絶対捕食者の気質から一刻も早く解放されたかったから出た言葉である。 「……んー」 「ん?」 しかし、メイコはミスティアの屋台をぼんやりと見つめている。 なんとなく、嫌な予感はしたが、そんな予感が表立って立つ一歩前にメイコは言った。 「あんた、屋台やってるんだ?」 それは、絶対強者の笑顔であった。 * 「いらっしゃい、いらっしゃい、ミスティア=ローレライの八目鰻だよー! ほら、そこのお兄さん、ちょっと寄っていきなさいな」 「……なんで、こんな事に……」 人間の里。そんな里のど真ん中に屋台を置いて、ミスティアは八目鰻を売っていた。 本来、ミスティアの売り場は人間の里から少し離れた夜道である。 そこで、帰宅途中の人間達を鳥目にして、鳥目になったお客に鳥目に効く八目鰻を快く販売する。 これが、いつものミスティアの屋台である。 「……(視線が突き刺さるわぁ)」 人間の里、夜になれば妖怪が店を経営していることも少なくないが、 ミスティアには納得がいかないことに、焼き鳥という忌々しい食べ物を人間も妖怪も好むのだ。 「もー、みすちー! 売り込み方が甘いわよ! そんなんじゃ、周りの焼き鳥屋にお客取られちゃうわよー! なんか無いの?」 なんか無いの?と言われてすぐに芸ができるのは芸人だけだと思うんだけどなぁ、 なんて思いながらミスティアはいつも夜道で行うパフォーマンスをすることにする。 幻想郷といえどもただ夜道で屋台をやっていればお金が取れるわけではない。 それなりの客引きのパフォーマンスがあるのだ。 「そいじゃ、一曲……!」 ミスティアは一息ついて歌を歌い始める。夜雀の歌。『もう歌しか聞こえない』。 人々、特に若い人たちから歓声が上がる。 ミスティアの歌はテンポが速く、若い者にはウケがいいのだ。屋台を取り囲む観衆たち。 歌うミスティア。 「……」 メイコは、そんなミスティアの姿を呆然と見つめていた。 歌に聞き惚れた、というよりは、ミスティアが歌う姿に見惚れていた。 歌自体は、夜道を進む者が聞けば惑わせる類のものであるが、それ自身にボーカロイドが為すような技術は無い。 技術は無いが、伝わってくるのである。彼女の歌に対する思いが。 「ミスティア……ローレライ……」 全身で楽しそうに歌うミスティアに自然と、観客達もノって来る。メイコは思い出していた。 かつて、自身が舞台に立ち、そして歌っていたその時のことを。 しかし、思い出の感傷に浸っていられた時間はわずかだった。 「外が騒がしいと思って来てみれば……お前か、夜雀」 大地を踏みしめる細い足。 しかし、その踏みつけは、巨躯の戦士のそれ以上の圧倒的な存在感を示す。 「上白沢……慧音!」 姿を現すはハクタク。歴史を作る程度の能力を有する人獣である。 その人獣、上白沢 慧音は、満月の夜にハクタクとなってミスティア達の前に現れていた。 頭から突き出た二本の角。緑色に染まったワンピース。真紅の視線がミスティアたちを捉えた。 その姿の慧音を見るや否や、今まで集まっていた観衆たちはクモの子を散らすようにあっという間に姿を消した。 「ちょっと! なんなのよ! 営業妨害しないでくれる?!」 感傷をぶち壊されたメイコがハクタクに突っかかる。ああ、無知って怖い。ミスティアは思った。 「営業妨害はそっちの方だ。勝手に夜中に騒ぎおって、こちとら一か月分の歴史整理をせねばならないというのに」 「はあ? 仕事を一ヶ月も溜める方が悪いでしょ?」 「メイコ、こいつは、その……」 ミスティアがワーハクタク慧音について説明しようとするその前に、慧音が前傾姿勢をとる。 「これ以上、私の仕事を邪魔するというのなら!」 「わー! 慧音! ストップ、ストップ――ッ!!」 「問・答・無・用ッ!!」 地面を蹴り突進する慧音。もしも、激突すれば木製作りの屋台など木っ端微塵にされてしまうだろう。 「ぎゃー!! このままじゃ私の屋台が壊されちゃうッ!!」 「あっちゃ〜。完全に頭に血が上ってるみたいね〜」 涙目になりながら叫ぶミスティアに、敢然と向かってくる慧音の気迫に少し気おされ気味のメイコ。 「しょうがないなぁ」 激突する慧音。しかし、激突したのは屋台でも、ミスティアでもない。 「まあまあ、落ち着きなさいよ」 突進してきた慧音を止めたのは他の誰でもないメイコだった。 メイコの左手が慧音の頭を押さえつける。だが、やはりハクタク、人獣の身体能力は並みではない。 メイコも踏ん張るがじりじりと押し返されてしまう。 「頭に手を乗せるなッ!!」 「ッ!」 慧音がしゃくり上げる。弾かれるようにメイコの体が空を飛ぶ。 (軽いッ!? 受け流されたかッ!!) 慧音は、後ずさる。 目の前の人間は、どうやら一筋縄では行かない相手だと、歴史を整理し、歴史を作ってきた経験が彼女に認識させていた。 「全く、乱暴な牛ねぇ。赤い服がそんなに気に障った?」 屋台の側面に張り付いたメイコ。驚くべき身体能力を見せる彼女の姿に狼狽するミスティア。 さらに、それを加速させたのはメイコが変わらず涼しい顔をしていたことだった。 「失礼な。私を狂わすのは満月だけだ。それに牛じゃない」 メイコを見上げ、出方を伺う慧音。 「あら? ハクタクって牛じゃなかったかしら?」 「……。夜雀、お前がこいつを連れ込んだのか?」 慧音はメイコから眼を外さずに、屋台の中にいるミスティアに聞いた。 「いや、その、え、えと……連れ込んだというかまとわりつかれたというか……」 一方、話をふられたミスティアの歯切れは悪い。 連れ込んだ、といえばそうだが、そもそも、人里のこの場所を売り場に選んだのはメイコである。 ある意味、メイコにミスティアが連れ込まれた、といっても間違いではないのだ。 「いずれにせよ同じこと。私の邪魔をすることがどういうことか、頭突いて思い知らせてやろう!!」 「ちょ、待っ!?」 私は関係ないッ!! ミスティアはそう叫んだが、夜雀の言葉に慧音が耳を貸すはずもない。 「食らえ! スペルカード!!」 慧音が取り出したスペルカードの発動を宣言する。 宣言されたスペルカードは、新史『新幻想史〜ネクストヒストリー〜』。 うっすらと慧音の手の中からスペルカードが消え、効果が発現する。 「ッ!」 メイコは、本能的にその攻撃がどれだけ危険か察知していた。 そして、それをいかにして最小の被害で抑えるか考え、そして、結論に達した。 「この弾幕が避けられるかッ!」 慧音が叫び、そして、弾幕を張った上で突進する。 一方、それに呼応するようにメイコも側面を蹴り、慧音に向けて突進する。 しかし。 「その勝負、一寸待ったッ!!」 スパーン!!と、小気味のいい音が満月の夜に響き渡った。 「……妹紅……?」 ハリセンで顔面を叩かれた慧音は、鼻血を垂らしながらその場に座り込む。 一方、拳を振りかぶっていたメイコは、直前で静止していた。 「な、なんだよ、妹紅! お前まで私の邪魔をするのか?!」 「違うよ。まあまあ、落ち着けって」 妹紅は鼻血を垂らしながら文句を言ってくる慧音をなだめるように言った。 「しかし!」 「お前には仕事があるだろ? 夜雀には私がちゃんと言っておくから、慧音は自分の仕事に戻りな、な?」 「う……うぐぅ……妹紅がそういうなら……」 慧音はしぶしぶといった感じで了承し、後は任せた、と言ってどこかへと走っていってしまった。 「助けられたわね」 「ごめんな。アイツは満月の日は気が立ってることが多くてな。悪いやつじゃないんだけど……」 メイコに慧音が襲い掛かったことを謝罪する妹紅。彼女の名は藤原 妹紅。蓬莱の薬を服用し、不老不死となった少女である。 「もこたん、もこたん!」 不意に、ミスティアにもこたんという愛称で呼ばれ、怪訝そうな表情を浮かべる妹紅。 「お前、こんな夜遅くに歌なんて歌うから慧音が怒るんじゃないか。夜雀が鳴くのが習慣だとしても場をわきまえるようにしなよ」 長生きできないぜ? などとのたまう妹紅にミスティアは駆け寄って。 「メイコね、外来人なんだけど、今晩泊まる処がないの! 無一文だし、人里で泊めてくれる家を探してくれないかな?」 「なんだって? そうなのか?」 言って、妹紅は遊びにきた妖怪の子供の相手をしているメイコに視線を移す。 メイコとハクタクとの一部始終を妹紅は見ていた。 それから判断して腕っ節だけならば彼女がそこらの物の怪をものともしないことは分かる。 だが、弾幕にはどうやら耐性が無い様に見えた。 「弾幕を観るのは初めてなの?」 「弾幕……ああ、さっきの綺麗な光のことね?」 メイコの言葉に、妹紅の推察は確信を得た。 幻想郷にて単身で暮らしていくには弾幕を身に着ける事は必須だ。 博霊 霊夢の考え出したスペルカード戦。俗に『弾幕ごっこ』は今なお妖怪たちとの勝負事に持ち出される。 弾幕も展開できない人間がスペルカード戦を挑むべくも無い。弾幕が無ければ一方的にやられっぱなしだ。 (まあ、弾幕を一発も撃たなくても負けにはならないけどさ) 避け続けて相手のボムを潰してしまえば勝利だ。弾幕を張らなくても勝てなくは無い。 しかし、大きなハンディであることは言うまでも無い。 「そーいう事なら任せなよ。私が慧音に頼んでみるから」 「本当!? アリガト! もこたん!!」 ミスティアがあんまりにも眼を輝かせるものだから、妹紅は不思議そうな表情を浮かべる。 「妖怪のお前が、人間の心配なんてね。世の中も変わったなぁ」 などとしみじみといって、妹紅は踵を返す。 「店が終わった頃に連れてきなよ。ああ、くれぐれも騒がないようにな〜」 なんて言って妹紅は里の中へと消えていった。 「ちぇ〜、みすちーの歌、もっと聴きたかったのになぁ」 「え?」 メイコは近くから椅子代わりの木箱を持ってきてそこに座し、屋台の上に寄りかかるようにしてつぶやいた。 「だって本当に楽しそうに歌うんだもの。ちょっと嫉妬しちゃった」 「だったらメイコが歌えばいいんじゃない?」 「ん〜?」 ミスティアの言葉にメイコは間延びしたような声で返す。 「そんなに歌が好きならメイコが歌えばいいじゃない?」 「……そうね」 メイコは、屋台の戸棚からコップを取り出し、先ほどからずっと手にしていた一升瓶の蓋を開けた。 「そんなことより、飲もうよ! みすちー!」 「……?」 急に逃げるように話題を変えたメイコを不審に思いながらも、ミスティアは屋台に戻った。 歌が好きなら自分で歌えばいいのに……変なの。 「なによ〜。私のお酒が飲めないっての〜?」 「はぁ〜」 酒を一気に煽って、言う。 「女将! 焼き鳥の盛り合わせ一丁!!」 「自害!?」 焼き鳥なんておぞましい食べ物なくなればいい……という理由で、ミスティアは焼き鰻屋をやっているのだ。 「……厄介なヤツに関わっちゃったなぁ」 ミスティアは、焼きかけていた鰻を取って食らいつくメイコを見ながら、満月の浮かぶ夜の空を見上げるのであった。 * 朝。 冥界の聳える白玉楼。そこの庭師である魂魄 妖夢は、山門の周囲に人の気配を察知して降りてきていた。 「?」 白玉楼に至る階段。そこには、真紅のドレスを着た女性がうつ伏せで倒れていた。 「亡霊……というわけではないみたいね」 「う……」 女性がうごめく。 「貴女は何者なんだ? 生きた人間が何故、冥界にいる?」 「……冥界?」 女性は確認するように言った。そして、妖夢を見上げた。 「私は、西行寺家の庭師、魂魄 妖夢。貴女は?」 「私は……」 女性はゆっくりと口を開いた。 「私は……」 |